文化学科

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発掘調査報告

2013.06.19

 短大・文化学科「考古学Ⅱ」、専攻科「日本の考古学」「考古学演習」の一環として行なっている会津若松市笹山原遺跡No.16遺跡の発掘調査実習が5月25日から6月4日まで行なわれました。今年の調査目的は平安時代の遺構確認と旧石器時代の石器分布の西側への広がりを確認するものでした。西側への旧石器分布を新たに確認することはできず、4ab層から出土した石器は僅か7点でした。しかし、平安時代の遺構調査では大きな収穫がありました。
 ひとつは土師器焼成途中で放棄されたと推定される焼成遺構(13SK01)を発掘することができたことです。もうひとつは2005年に確認していた竪穴住居(05ST01)の構築方法が明らかになったことです。
 焼成遺構(13SK01)からは焼土に覆われた土師器(長胴甕、小型甕、坏、)6個体程度がつぶれた状態で出土しました。出土状況から焼成途中であったが放棄されたものと考えられます。これまで笹山原遺跡No.16では焼成遺構が10基程度確認されていますが、焼成途中で放棄されたものは初めてです。この遺構で重要な点は、焼成中の土師器が焼土に覆われていたことです。土師器は野焼きで焼成されると考えられていましたが、この事実は開放型の野焼きではなく、燃料の上に土を乗せた覆い焼きを行なっていることがわかったのです。

発掘調査の様子

発掘調査の様子


附属高校生発掘参加の様子

附属高校生発掘参加の様子

 現在、水洗を始めたところです。土師器製作過程を動作連鎖概念を用いて具体的に再現することが可能になってきました。
 もうひとつ重要な発見は竪穴住居の床下を平にするために、大量の焼土を用いていることがわかったことです。笹山原は磐梯山の泥流台地上に位置していることから、多くの大型礫を含んでいます。竪穴住居構築にはそれらの大型礫を除去しなくてはなりません。除去後に床面を平坦にするため土壌を戻さねばなりませんが、その埋土に笹山原遺跡No.16ならでは産業廃棄物を用いていたのです。それは土師器焼成の際に生じる覆い焼きの結果生じた大量の焼土を用いていたのです。
 このように平安時代の笹山原集落では土師器生産の試行錯誤が繰り返されていたのです。

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